若者たちが支える日本酒文化

 7月30日のブログでご紹介したイベントに参加した。「酒と語りと醸しと私」と題したこのイベントは、滋賀県内の若者たちが組織する「酔醸会(よいかもかい)」が主催したものである。
タイトルや会の名称もおしゃれだが、開催された場所も大津市内にある旧公会堂で、なかなか雰囲気のある建物だった。
このイベントのサブテーマに「日本酒をもっと知ろう!」と書いてあった。名水に恵まれた滋賀県は古くから酒の名産地であったことは意外に知られていない。それは、京都・兵庫の大生産地に隣接し宣伝量では全国発信などしていないし、しかも少量生産で地域文化としての酒を守ってきたからであろう、と私は解釈している。
しかし、県民がそのことを理解して支えなくなれば、いくら「良心的な酒造り」をしていても、酒造りそのものが崩壊してしまう。「日本酒をもっと知ろう」と呼びかけた若者たちに私は大いに拍手を送りたい。
これまでブログで何度も強調したように日本酒は地域の文化である。それを若者たちが継承し普及しようとする意気込みこそ、地域を活性化させる起爆剤になるはずだ。
さて、イベント会場で私は驚いた。
参加した蔵元さんたちは12社で、ほとんど蔵の若い代表者が来られていたことだ。
出された酒もそれぞれ個性のあるすばらしいもので、安価でも気力にあふれた酒もあった。
イベントは参加者が蔵元さんたちと談笑できるように、酒のサーブを主催者「酔醸会」の若者たちが行い、近隣からおいしいおつまみも安価に供給されるなど、初回の開催としては気配りのきいた内容だった。
参加したお客さんが老若男女さまざまだったことも印象的だった。おそらく「酔醸会」の皆さんが口コミで広げられたのだろうが、地域に根ざしたおいしい酒造りが、日本酒ファンを各層に広げる兆しをつくっているのだと思った。
このイベントのアンケートの最後に私は「穂積忠彦さんが生きていたら大いに喜んだだろう」と書いた。穂積さんは「まがい物のアルコールと日本酒」を厳しく告発し、良心的な本物の酒造りを鼓舞して全国を廻り、国を相手に「アル添、三増酒」を窮地に追い込んだその人である。
ご存命ならば、滋賀県の若者たちに力のこもったエールを送ったことだろう。
私は世代交代をみずから成し遂げつつある若者たちに拍手を送りつつ、このような動きが全国に広まってほしいと願っている。
地域にある宝物をもっと大切にしよう!

妖怪は人と自然の守り手だ!?

 NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」が昨日最終回となった。「鬼太郎」とともに青春時代を過ごした私たちと同世代の者には懐かしい場面が多く、年寄り連には久々にNHK東京のヒット朝ドラだったように思われただろう。
ところで、このドラマで私が一番印象に残ったのは、水木しげるがスランプに陥ったとき、小学生の遠足につきあってフラッと林に入り、水辺で妖怪と遭遇する場面だ。そのとき妖怪は「あんたが絵画きなら俺たちのことをもっと描いてくれ。近頃は誰も気にしてくれなくなったので、このままじゃあみんないなくなってしまうぞ」といった意味のことを、水木しげるに言い残して消えてしまうという場面だ。
今では、子どもたちは妖怪の話も聞いたことがないのだ。
しかし、かつてわが国は妖怪の天国だった。全国どこにでも妖怪伝説があり、子どもたちは祖父母からいつも怖い話を聞かされていた。
そして、この妖怪伝説の多くは、人々に自然への畏怖を与え、注意を喚起する役割を果たしていたのだ。一人で山へ入らない、みだりに植物を伐採したり動物を捕獲しない、など巧みに子どもたちに教訓を授けるものだった。
水の世界では「青坊主」のように、川の深みから子どもの足を引っ張ってしまうやつがいる。河童伝説も同じだが、子どもたちに地域の川での遊び方を教えるものだった。「水路におしっこをするな」なども妖怪こそ出てこないが、「チンチンがはれる」とおどかされていた。
妖怪伝説はご先祖が地域の自然界とのおつきあいの仕方を、細かく伝えてくれた伝承的指示書のようなもので、古来の環境教育書と言ってもよいかもしれない。
朝ドラに触発され妖怪をまちづくりに利用するのは結構だが、水木さんや妖怪の銅像を建てたりするのは、スジが違うのではないか。
できることなら、里山に残る妖怪伝説の伝承を是非続けていただきたいと思う。それこそ、水木さんの意図に合致するのではないか。
都市部では貧困、失業、犯罪と人間界の方が妖怪で満ちており、過去の妖怪伝承におつきあいする余裕なんてないかもしれないが、こんな時こそゆっくりと古き良き妖怪と対話してみたいものだ。

八幡堀とまちづくり

 滋賀県近江八幡市では歴史的建造物を残した町並みと、八幡堀から水郷への水辺を活かしたまちづくりが進められている。
近年では観光客も増えてきているようなので、ご存じの方も多いと思う。
かつて私は北海道で居住している際に、「世界で一つしかない宝物」を地域の人たち自身で発掘し、それを地域の遺産として磨き上げることで、新しいまちづくりの姿が見えてくることをいつも強調し、実際にそれを実践していらっしゃるところもある。
テーマパークのような外来の遊び道具がことごとく失敗してしまった今こそ、まちにとって一番大切なのは「地域の文化」であることを、新しいまちづくりをしようと考えている方々にぜひ気づいてほしい。
滋賀県では「地域の文化」を自分たちの宝物として保全し、大いに利用しようという気風が目立つようになった。とてもうれしいことだ。
さて、標記の「八幡堀」だが近江商人が琵琶湖からの舟運を利用して物資を内陸部へ運び入れ、あるいは運び出す際に、蔵の近くまで掘った水路で両端は琵琶湖につながっている。この水路は舟運の役割を失った後、一時は見向きもされずに荒れていたものを、まちの人たちが意気高く復活させたものである。
この水路と歴史的建造物群、そして八幡山と八幡宮を一体的にまちづくり拠点とした市民の意気込みが伝わってくる。
ただ、残念なことに水路の「水」だけは自然物で琵琶湖の水位などの影響を受けるため、現在では流動性がなく水質の悪化が懸念材料ではある。
専門家の私としては何とかしたいと強い思いに駆られている。
地域の歴史と水辺の潤い(歴史や文化)とは一体のものであるからだ。
でも、1970年代の福岡県柳川の掘割を復活させた広松伝さんのことを私は思いだし、きっと市民は新しい姿の八幡堀を手にするだろうと確信している。なぜなら、今の八幡堀を「何とかしたい」と思っている市民の方が多くいらっしゃると私は感じているからだ。

近江八幡観光物産協会のHPアドレスは下記にあります。
http://www.omi8.com

「わが自伝的環境教育論」

 本年9月15日付の下水道協会誌9月号(社団法人:日本下水道協会発行)に、表記タイトルの拙文が掲載されている。
サブタイトルは「現場で考えた環境教育論の過去とこれから」となっている。
下水道協会誌が特別企画「下水道と環境教育」を編集した際に、私のところに原稿依頼をいただいたので、これまでの私の経験を短くまとめて整理したものである。
私が環境教育に足を踏み入れたのは1978年だから、すでに30年以上も前からの話である。当時は「環境教育」という用語自体があまり知られていない時代で、しかも私は在野の公務員。誰も「何をしたらよいか」教えてくれる者さえいない状態からのスタートだった。
それでも、「社会教育における環境教育の実践」をみずから標榜して取り組みを初めて30年たったいま、自分の立てた方針は間違っていなかったと自負している。というより、ますますその役割が大きくなっているのではないかとさえ思っている。
原稿を一気に書き上げたら8000字近くになってしまい、字数制限6400字を大きくオーバーしてしまったため、かなりの削除を余儀なくされたが、自分の言いたいことはほぼ主張できたと思っている。
環境教育の世界は30年前に比べれば飛躍的に前進した。国の施策としても当たり前のように取り上げられるようになり、隔世の感がある。
しかし、対象となっている子どもや大人の社会はそれよりもっと速いスピードで変化してしまっている。90年代の浮かれたような環境イベントで教育ができているなどと決して思って欲しくない。
子どもも大人も、しっかりとした理念に基づいた「環境教育」を待っている、ということを私は述べてみたかったのである。
この拙文は抜き刷りも残部が多少ありますので、「水の相談所」メールアドレスあてに送付先の住所をお知らせくだされば、ご希望の方にはお分けいたします。

水源林を見直そう

 全国的に記録的な猛暑が続いている。私の自宅の裏の畑もカラカラで野菜の生育も大きな影響を受けている。
ところが、このような天気が続くと例年ならば「水不足」で大騒ぎになるのに、今年はどこでもニュースになるほどまでにはなっていない。
異常気象には変わりないのだが、山沿いの地域には頻繁に雷雨が繰り返されていることが、とりあえず水不足を回避させてくれているようだ。
まさに「森林の恵み
というべきだろう。
日本で一番大きな湖沼である琵琶湖への流入水は河川からばかりでなく、周囲を囲む森林からの地下水流入が流入水量全体の1/4以上となっていることは意外に知られていない。
森林が水資源の確保にとって重要な位置を占めていることを、この猛暑の中でわれわれはもう一度認識を新たにしたい。
先日、朝日新聞で「アジアの水危機」とした特集記事が掲載されていた。特に中国の経済発展に伴い中国からインドあるいはインドシナ半島といった南部に流下する国際河川の上流域にダム建設が進み、下流側が危機感を強めているというものであった。
中国の経済発展は中国の国内問題だが、それに伴い水使用量が飛躍的に増加することは誰が考えても当然であり、アジアの関係国がこの問題を共同して解決することは今後のアジアの平和と安全にとって重要なことだ。
特に日本は「水の技術」だけでなく水源林の重要性を身をもって体験している国である。中国の広大な砂漠を森林に変えるぐらいの壮大な計画を持ち込んで実践するほうが、中国とアジアにとって有意義ではないのだろうか。もともと100年単位で歴史を考える民族に、数年先の経済発展のための対策を提案することはナンセンスの極みだ。
「南水北調
などという大規模な流域変更を考えるのも中国らしいが、どうせ数十年かけて莫大な費用を投下するなら、わが国はあえて大規模水源林の造成を提案してあげるべきではないか。隣国の友人として。

何でも雨のせいにするな!

前回の「水の事故と環境教育」では、事故を未然に防止するために、水の文化を継承する教育の大切さを訴えた。今回は水の事故を何でも「局所的豪雨」「ゲリラ豪雨」などの自然災害のように見せかける論調への警告を発したい。

私の記憶に間違いなければ、2008年は上記のような事故が頻発した年だったように思う。

6月には東京都の河川工事現場で作業員が増水した河川に流され、下水道幹線の工事現場ではこれまた管路内で増水した雨水に作業員が流されて亡くなった。

7月には神戸市の都賀川で瞬時の増水で河道内にいた5人が流され亡くなった。

つい最近では、テレビ局の取材者・カメラマンが秩父山中で山岳ガイドの制止にもかかわらず山中に入り、沢で増水した河川に流されて亡くなったらしい。

いずれも、「局所的降雨」によるものとして報道されているが、私はどうも納得がいかないのだ。

私も一応、土木技術者として働いた経験があり、そのは河内の工事は6月になど決してやらせてもらえなかった。河道内工事は渇水期と決まっていたからだ。もちろん、下水道工事も降雨時などもってのほかだった。

ところが近年、東京を含め大都市では局所的な降雨に備えるため、精度の高いレーダー観測網を持ち、情報伝達も格段にレベルアップされていることを根拠に、いつでも工事ができるかのような錯覚に陥っているのではないか。

都市における降雨は瞬時のうちに、しかも大量に下水道と河道内に流入することは、土木工学のイロハである。どれくらいの雨がどの程度の面積に降ったとき、どれくらいの時間で下水道や都市河川に流入し、ある地点でどの程度の流量になるかは簡単にシミュレーションできるようになったのはずいぶん前のことだ。

しかし、河道内や下水道管路内で降雨時の危険がそれによって無くなったわけではなく、ますますその危険性が明らかにされただけであったのに、あたかも情報技術が解決してくれるかのような錯覚をしてしまったのではないか。

このような場所での作業マニュアルには、降雨時の危険性は記述してあるはずで、「工期がないから」「ちょっとくらいの増水は耐えられるから」などの理由が優先する根拠はどこにもなかったはずだ。

都賀川の場合はまさに瞬時の出来事で、河川管理者も驚いたことと思うが、それにしてもそのような危険性のある河川であることは従前から理解されていたはずであり、都市内の親水河川公園として利用するなら、もう少し慎重な施設整備が必要だったのではないか。上流地域のある地点での降雨や流量を測定した結果をもとに、瞬時に下流の公園の場所に設置した警報機をならすことは通常考えられることだが、それでも退避のための時間的余裕を稼ぐことが困難と見るならば、科学技術的な判断から親水河川公園としての利用は中止すべきではないかとさえ思う。都市河川の河道内での伝搬速度があまりに速いからだ。

つい最近のテレビ局取材記者の事故は、いつもの「自己責任」でチョンにするつもりなのだろうか。

宿泊の取材出張で出かけたチームが、何も「手柄」なしで会社に戻ることなどできなかったのではないか、と私は直感的に思った。山岳ガイドに制止されても「救助ヘリが墜落した現場写真ぐらいは撮って帰りたい」と思うのは、プロの取材人なら誰でも思うだろう。

それを思いとどまらせるのは、山岳ガイドではなく組織の原則ではないのか。

東京都の事例もテレビ局の事故も、局所的な降雨といった自然災害が要因となっているようだが、いずれも労働者の安全確保という、組織でもっとも重視すべき原則を踏み外した結果ではないかと私は思っている。

「再発防止」をいうなら、事故の原因を「雨」のせいにせず、組織内の安全教育を再度徹底検証すべきだ。


水の事故と環境教育

 夏になると毎年のように水の事故が報道される。

その多くは個人の不注意として処理されているが、水と環境教育に関わってきたものからみると、この30年間に看過できない事態が広がっているようで忸怩たる思いがある。

一つは、「水は恐ろしいものだ」という断片だけをことさら取り上げて、結果的に人々(子どもたち)をますます水辺から遠ざけてしまっていること。

もう一つは、事故を「個人の不注意」ではなく、環境教育の課題として社会全体が取り上げるべき事象を放置しているのではないか、という点にある。

 

私が子どもの頃、地域にはガキ大将グループがあって、グループの最年長者は子分を連れて水辺に頻繁に遊びに行ったが、小さい子たちの面倒はよく見てくれていた。

川面に蛇の泳ぐ姿が見えれば教えてくれたし、深みには入らないように絶えず注意を払っていてくれた。天気が悪くなればどんなに遊びたくてもさっさと引き上げた。まるで現在の「川遊びガイド」と同じか、それ以上の統率能力を持っていたのだと思う。

そのガキ大将はきっと代々継承した「体験学習手法」を、自分でも確認しながら年少者の面倒を見、自分も遊んでいたのだろう。

しかし、代々引き継がれた「体験学習手法」はいつの間にか社会から消えてしまったようだ。

1960年代から70年代、全国の河川、湖沼、海浜は汚濁にまみれ、人々は水辺から遠ざかってしまったために、水辺の「体験学習手法」は継承されなかったのである。おまけに、地域でのガキ大将グループはおろか地域社会そのものが都市部では崩壊してしまい、「情報化社会」の中で子どもたちはテレビニュースで「事故」や「洪水」を見るようになってしまった。

水の事故はそのような中で育った「オトナ」たちの不幸な出来事とも見て取れる。

19998月、神奈川県玄倉川で起こった水難事故を覚えている方も多いと思う。川の中州でキャンプをしていた親子連れグループ13人が、上流域での降雨と玄倉ダムの放流による危険を警告した警察やダム職員の再三の注意を無視したため、救助隊員の目前で下流に流されてしまうという悲惨な事故だった。

この事故では多くの論調が「自己責任」を問うものだったが、私は「上流で大雨が降り、ダムが放流されるときに親たちが避難しなかったのは、その悲惨な結果を予知することを学んでいなかった」からではないかと考えたのである。

現在の若いお父さん、お母さんは子どもの頃、前述のように川で遊ぶ機会を逸してしまった方が多い。まして、洪水の時の川を実際に見る機会などほとんど与えられなかっただろう。自分が毎日のように遊んだ水辺が、ちょっとした大雨で濁流の中に跡形もなく消えてしまう恐ろしさは、実際に遊んだものだけが体験できるすばらしい教育なのだ。

しかし、学校の先生は水辺に子供らを連れて行くことさえこわがり、とても大雨の時に堤防の上に子どもを連れて行くことなど絶対といってよいほどしない。

水辺は私たちに「楽しさと喜びと、そして恐ろしさを同時に運んでくる」ことを体験的に学ばない限り、同じような事故は繰り返し起こるのではないか。

かつて私は教員を目指す学生たちに講義の中で次のように述べたことがある。

「玄倉川の事故を教育者は大きな教訓として学ばねばならない。子どもたちに本当の水の恐ろしさを教えるためにどうすればよいか、真剣に検討すべきだ。私は父母や教員グループの協力を得られるようねばり強く説得して、晴れた日も、雨の日も、水辺に子どもたちを連れて行くことを願っている」

 

昨年まで3年間、琵琶湖のほとりで過ごして気づいたのだが、若い親子連れが湖水浴のできる湖岸で最初にやるのはバーベキューが多い。

多摩川では、河原でのバーベキューのゴミが大問題になっている。

私は科学館では大人にも子どもにも「水辺にいったら、まず足を水の中に入れる」ように話をしてきた。大人も水の中での遊び方を教えてもらうことが大切になっているのだ。

先に挙げた「体験学習手法」学んだ世代は、いまこそ若い世代に水の文化を伝える努力をしなければならない。

そうしなければ、水の文化は断絶してしまい、残念ながら水の事故は後を絶たないだろう。


日本酒文化は若い人にも受け入れられている

今月3回書き続けた「日本酒文化と水の話」をお読みいただいた滋賀県の友人からご返事をいただいた。 その中に滋賀県大津市で9月20日に開催されるイベントの情報があったので下記をごらんいただきたい。

http://ahiru-ie.way-nifty.com/s2/2010/07/post-3bb0.html

このイベントは蔵元さんが開催するのではなく、県内の日本酒ファン市民が実行委員会をつくり開催にこぎ着けたものである。
私は滋賀県は全国でも銘酒を生み出してきた地域だと思っているが、全国的には「穴場」的存在だった。しかも同じ滋賀県内、というより琵琶湖の流域は味わいの異なる楽しい地酒が古くからつくられてきたところである。水を大切にする文化は酒造りの原点と考える私は、滋賀県の日本酒ファンが自力でこのようなイベントを開催されることに大きな拍手を送りたい。
滋賀の本当の魅力はこういう姿にあると私は思っている。
関西地域のみなさんには是非お立ち寄りいただきたい。蔵元さん12社が参加予定だそうで限定150名まで。

日本酒文化と水の話(その3)

 

「その1」で述べたように私が外で本格的に日本酒を飲み始めたのは40歳になってからで、特に45歳でコンサルタント業に転職してからは、全国を飛びまわるようになり、そのたびごとに地域の酒を飲み歩いてきた。

そのような話を懇意になった居酒屋でしゃべっていると、「どこのお酒が一番美味しかったですか」とよく聞かれることがある。

そのとき私はいつもきまって次のようにお答えする。

「どの地域のお酒も一所懸命に造っていただいたお酒は美味しいです」「造り手の心意気が伝わってくるようなお酒を飲むと、うれしくなります」

「一所懸命」とか「造り手の心意気」などとわかりにくい基準だが、「酒造りは地域の文化史」であることをよく理解されている酒造家は、間違いなく地域の香りがする素晴らしい酒を造っていらっしゃる。

「桂川さんはどんな時にその『造り手の心意気』を感じるんですか」となおも聞かれるときには「そうですね、値段は安い普通の純米酒を飲んだときに、地酒らしい香り、時には吟醸香さえも漂わせる酒」と答えている。

そのような酒に出会うと、私はできる限り蔵元にまで出かけてご主人に面会することは「その2」で述べたが、そのとき数本は自宅に送ってもう一度飲みなおし、年間をとおして気に入った酒は年末に再再度送っていただき、正月用の酒にする。正月には、家族全員にその酒を生み出した地域の話をしながら薀蓄をたれる。どの酒も正月のおせちにはよくあっている。

蔵元に出かける前に、一応「水の専門家」としては地域の水の状態は概観でも知っておく必要があるが、それにしても口に含んだとき「ン?」と感じることがある。それは自分が仕入れた水質資料で想像したものとは異なる味に仕上がっているからで、地域の水の多様さに驚くことが意外に多い。

同じ河川の流域にある蔵でも、伏流水や地下水を利用して酒造りをしていると、同じ杜氏さんが同じ米を使って造っても、少し場所が変わるだけで全く異なる味に仕上がることがある。地下水に含まれるミネラル分など化学組成が異なるからで、自然が造りだすまさに「妙味」というべきだろう。

そのような飲み方をしていると、面白いのは同じ酒でも昨年と今年で味が微妙に異なっていることに気づく。酒造りの当事者なら当然のことだが、このことに気づいたときには自分でもびっくりしたことがある。

おそらく多くの場合、源水水質は同じはずなので、米の水分やデンプン、タンパクなどの含量が微妙に違っているのだろうと思ったが、酒造家のお話ではそれだけでもなさそうで、その年の自然界の状況がすべて反映した結果としてみるほうが正しいようだ。そのような微妙な発酵過程を毎年おなじレベルのものに仕上げてしまう杜氏の技量にも舌を巻いてしまう。まさに伝統文化だ。

さて、ここまでは「これぞ日本酒」という話ばかりしてきたが、残念ながら全国の酒造家がすべてそのような酒を造っているわけではない。

かつては「銘酒」とうたわれた酒でも、「これがあの酒か?」とがっかりさせるものも少なくない。多くは「利益一番」で酒造家の役割を忘れてしまった結果である。「酒造家の役割」とは日本酒に表現される地域の文化史を、適正な価格で多数の地域住民に楽しんでいただくことにある。

「ちょっと売れたから」「○○賞をもらったから」「観光客が増えたから」などの理由で増産を重ね、価格を吊り上げるような行為は、酒造家の自殺行為だ。

世の中の流れに留意することは、商売をするうえで大切なことであると私も思うが、「女性向けに」あるいは「観光客向けに」といって由緒ある蔵元が妙な酒を造ってみたりするのは、自殺行為の最たるものといわねばならない。

これらの蔵元の売上がその後低下しているのは言うまでもないことだ。

しかし、このような行為には酒を飲ませる商売の居酒屋の責任もないわけではない。宣伝の多い「銘酒」を「うまいから」といって飲ませ、高額の大吟醸酒を特別扱いするなど、消費者の目を誤らせる居酒屋も後をたたない。

一升瓶の底に少量たまった酒を知らん顔して出してくる店、うまくもない高額の吟醸酒を仰々しくガラスケース冷蔵庫に入れて偉そうにしている店も私は要注意にしている。
「でも、桂川さんが言うような美味しい酒はやはり高いんじゃないのか」とよく言われるが、私は多くの場合、4合ビンで1500円以上の酒は買っていない。それも純米酒で可能な限り無濾過原酒を購入する。作り手の心意気と米と水の状況が一番わかるような気がするからだ。
 お断りしておくが、私は酒造りの現代史における吟醸酒の技術開発を否定しているわけではない。手間ひまかけて香り高い吟醸酒を造る技術は大切にされねばならない。しかし、その地域が持っている日本酒の魅力を感じるには私は普通の純米酒が最適だと思っている。もっといえば、わが国の近現代史で酒は大衆の世界に広がって支持されてきたものである。その原点は安くて美味しい酒であったはずである。生活レベルが向上して高額な酒が売れるといっても、酒の味わいは原点にこそ残っていると私は思う。

わが国の蔵元にはそのような酒を頑張って造っているところがまだあることを、知っていただきたい。そしてそのような酒造家をぜひ応援していただきたいと思う。蔵元の代理店である酒屋さんも同じような気持ちで頑張っていらっしゃるところがある。地域の良い酒を嫌がらずに仕入れて全国に紹介する、インターネット世界だからできたことだが、酒造家を大切にしようとする店の経営者にも頭が下がる。

最後に、消費者が賢くならなければ、まじめに日本酒文化を継承してきた酒造家が、安心して酒造りに打ち込めなくなってしまう時代だということを、是非知っておいていただきたい。

酒造りがあるから、米も水も守られる。米作りと水環境が守られているから日本酒文化が守られる。

ぜひ、お正月には「これは」と思うお酒をぜひご家族全員で、その地域の話を聞きながら味わっていただければと思う。

「日本酒文化と水の話」はこれで終わりにします。長くなりましたがお読みいただきありがとうございました。ご意見、ご感想がありましたら「水の相談所」のアドレスにメールをいただければと存じます。
 なお、文中では個別の酒造、銘柄、居酒屋、酒屋さんなどの名前は、読者の判断を尊重するため最小限にとどめましたことをご了承ください。


日本酒文化と水の話(その2)

 

今から9年前(2001年)の夏、私は香川県綾歌町(現在は丸亀市と合併)に出かけて庁内の地球温暖化防止計画についてお話をすることになり、前日から高松市内に宿泊していた。出張時のいつもの慣習で、大阪から合流した同僚と一緒になって居酒屋に出かけ、いつものように地元の日本酒を物色し始めた。店内に張られた酒の銘柄を読みながら一瞬、気になる酒が目にとまった。どこかで読んだことのある「あの酒か?」。「純米酒 凱陣」との出会いであった。四合ビンをもらって一口含んだとき、「これ純米酒?」と思わせるような、何ともいえない香りが口中に広がり、脳天を衝撃が走ったのである。酒づくりに対する強い意気込みを感じさせられた衝撃である。そこには「しっかりと酒を造っている」という主張があった。

衝撃的な出会いのついでに3人で2本をあけ、そっとビンのラベルから酒造の住所を書き写した。

翌日、綾歌町に出かけた私は、役場の方に「ここから琴平までは遠いですか?」と聞いてみた。意外に近かったのだ。

同僚は「もしかして、桂さん蔵元めぐりですか?」と薄笑いしながら、昼食を食べた後分かれて別行動となった。

帰りの飛行機の時間まで3時間程度あった。これを逃したら2度と会えない人がいるかもしれない、と私は思いながらレンタカーをとばして琴平の「丸尾酒造」を訪ねたのである。

蔵元のご主人とはもちろん初対面だが、私は居酒屋で感じた衝撃と、自分がいつもこうやって「心意気の伝わってくる」酒造を訪ねていることを正直にお話し、突然の訪問をご容赦いただいた。

しばし、酒づくりの談義の後、私の専門が「水」だということをやっと説明した際、ご主人が次のようなことをいわれたのである。

「ここの水は土器川の伏流水を使ってるけど、最近建設省が近傍で河川工事をやることになり、水量や水質に影響がでないかと心配なんだよね」と言われたのである。残念ながら私は当時その工事には全く関わっておらず情報も持っていなかったため、工事の内容やご主人の心配事とこれまでの地下水の履歴をお聞きしながら、「特に水量の変動が起きないように建設省に話をされた方がよいのではないか」といった意味の話をさせていただいた記憶がある。

しかしこの後、埼玉の自宅に戻ってからもご主人の言葉が気になってならなかった。それは、酒造家の心配事に対して的確なご説明ができなかったのではないか、というだけではない「何か」が引っかかっていたのである。その「何か」は丸尾酒造さんにその後訪問したときも、あまり自覚できないまま時は過ぎてしまった。

全国を仕事でめぐっていた私も、翌年には単身で北海道に居住し仕事も変わっていたが、蔵元めぐりだけは相変わらずだった。道内の主な蔵をめぐりながら私はまたも衝撃を受けたのである。それは酒の味ではなかった。

北海道では長く醸造好適米を作付けしておらず、名だたる酒造家の多くは山田錦や美山錦といった内地の米を持ち込んで酒づくりをやっていたのである。

前述の丸尾酒造さんも醸造好適米を探して、当時は九州まで足を運んでいるとおっしゃっていたから、北海道ではなおのことであった。

2003年になって、私は札幌近郊の当別町で購入した「当別のお米でできたお酒」を飲んでびっくりした。あまり期待していなかった反動もあったが、しっかりした味わいは若い人の意気込みを感じさせるに十分な味だった。

「酒づくりは地域の文化史」に自分なりの答えを見いだしたのはこの時だったと思う。また、丸尾酒造さんで感じた「何か」もこの時に氷解したのである。

酒づくりにおける「米・人」は現代の日本ではどこからでも手に入る。場合によっては海外でも酒づくりはできる。

しかし、水だけは地域の土地を流れている地下水、伏流水や表流水を利用しなければならない。地域の水を守るということは、長く続いた日本酒の文化を根本のところで支えるものだったということに、この時になって初めて気づいたのである。あわせて、地酒の最大の特徴もこの水が生み出すものが基盤にあり、絶対に代替えのできないものだけが持つ誇り、自信、味わいを支えていたのである。

かつて「多摩川と川崎と酒」を書いたとき、蔵元の源水の水質と「甘口、辛口」の区分を述べていたのだが、地域の水はもっと奥深いところで酒づくりを支えていたことに気づいたのである。あのエッセイから10年後の話である。

だからいま、私は地方に出かけた際に、地元の酒米で地元の杜氏さんが酒造りを続けている姿を拝見すると、一言声をかけたくなるのである。「源水は何を使っていらっしゃいますか」「これからも頑張ってください」と。

本当の地酒には、地域の水に地域の米とそれらを知り尽くした人だけが持つ歴史と文化の香りがする。まさに「酒づくりは地域の文化史」なのである。

(「その3」に続く)



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