何でも雨のせいにするな!

前回の「水の事故と環境教育」では、事故を未然に防止するために、水の文化を継承する教育の大切さを訴えた。今回は水の事故を何でも「局所的豪雨」「ゲリラ豪雨」などの自然災害のように見せかける論調への警告を発したい。

私の記憶に間違いなければ、2008年は上記のような事故が頻発した年だったように思う。

6月には東京都の河川工事現場で作業員が増水した河川に流され、下水道幹線の工事現場ではこれまた管路内で増水した雨水に作業員が流されて亡くなった。

7月には神戸市の都賀川で瞬時の増水で河道内にいた5人が流され亡くなった。

つい最近では、テレビ局の取材者・カメラマンが秩父山中で山岳ガイドの制止にもかかわらず山中に入り、沢で増水した河川に流されて亡くなったらしい。

いずれも、「局所的降雨」によるものとして報道されているが、私はどうも納得がいかないのだ。

私も一応、土木技術者として働いた経験があり、そのは河内の工事は6月になど決してやらせてもらえなかった。河道内工事は渇水期と決まっていたからだ。もちろん、下水道工事も降雨時などもってのほかだった。

ところが近年、東京を含め大都市では局所的な降雨に備えるため、精度の高いレーダー観測網を持ち、情報伝達も格段にレベルアップされていることを根拠に、いつでも工事ができるかのような錯覚に陥っているのではないか。

都市における降雨は瞬時のうちに、しかも大量に下水道と河道内に流入することは、土木工学のイロハである。どれくらいの雨がどの程度の面積に降ったとき、どれくらいの時間で下水道や都市河川に流入し、ある地点でどの程度の流量になるかは簡単にシミュレーションできるようになったのはずいぶん前のことだ。

しかし、河道内や下水道管路内で降雨時の危険がそれによって無くなったわけではなく、ますますその危険性が明らかにされただけであったのに、あたかも情報技術が解決してくれるかのような錯覚をしてしまったのではないか。

このような場所での作業マニュアルには、降雨時の危険性は記述してあるはずで、「工期がないから」「ちょっとくらいの増水は耐えられるから」などの理由が優先する根拠はどこにもなかったはずだ。

都賀川の場合はまさに瞬時の出来事で、河川管理者も驚いたことと思うが、それにしてもそのような危険性のある河川であることは従前から理解されていたはずであり、都市内の親水河川公園として利用するなら、もう少し慎重な施設整備が必要だったのではないか。上流地域のある地点での降雨や流量を測定した結果をもとに、瞬時に下流の公園の場所に設置した警報機をならすことは通常考えられることだが、それでも退避のための時間的余裕を稼ぐことが困難と見るならば、科学技術的な判断から親水河川公園としての利用は中止すべきではないかとさえ思う。都市河川の河道内での伝搬速度があまりに速いからだ。

つい最近のテレビ局取材記者の事故は、いつもの「自己責任」でチョンにするつもりなのだろうか。

宿泊の取材出張で出かけたチームが、何も「手柄」なしで会社に戻ることなどできなかったのではないか、と私は直感的に思った。山岳ガイドに制止されても「救助ヘリが墜落した現場写真ぐらいは撮って帰りたい」と思うのは、プロの取材人なら誰でも思うだろう。

それを思いとどまらせるのは、山岳ガイドではなく組織の原則ではないのか。

東京都の事例もテレビ局の事故も、局所的な降雨といった自然災害が要因となっているようだが、いずれも労働者の安全確保という、組織でもっとも重視すべき原則を踏み外した結果ではないかと私は思っている。

「再発防止」をいうなら、事故の原因を「雨」のせいにせず、組織内の安全教育を再度徹底検証すべきだ。


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