上州の銘酒「桂川」を訪ねて

群馬県に柳澤酒造さんという日本酒の蔵元がある。
 私がこの蔵元さんに興味を持ったのは全く個人的なことなのだが、ここでつくられている銘柄に「桂川」があったからである。

全国の日本酒を飲みまわっていた私も、なぜか群馬県(だけ)はあまり足を向けていなかった。それに、「日本酒名鑑」のような書物の論評や、穂積忠彦氏の著作の最後に記されている「銘酒一覧」もあまり読む気はしなかったので、2年ほど前までこの銘柄に気づいていなかった。

たまたま自分の姓と同じ銘柄を見つけただけならば、それでやり過ごすところだが、実は私の父が群馬県出身で、しかもご先祖は村長さんまで経験した地元の名士だと聞いたことがあり、俄然、日本酒「桂川」の由来を知りたくなったのであった。

柳澤酒造さんは赤城山麓南面に広がる旧粕川村にあって、明治10年創業だというから130年余の歴史を持つ蔵元さんである。しかも気になったのは酒造りに代々「餅米」を使用しているという宣伝文であった。

「これは取材に行かずばなるまい」

ようやく訪問の予約が取れた日は12月中旬で、蔵元としては多忙な時期で恐縮してしまったが、ともかくお邪魔することにした。

赤城山麓から流れくる小さな川の横に蔵があり、その隣には管理の行き届いた神社もあった。

古風な店構えと白壁の蔵はいかにも、といった風情を感じさせる。

応対していただいたのは社長の柳澤光雄さん。群馬県酒造組合の会長さんもなさっている。

早速「桂川」の由来を聞いてみたら、「近くを流れている川の名前が桂川なんです」とのお話に驚いてしまった。

実はこの川、地図上で名前が記されているものを私は見たことがないのである。

かつて、生前の父親から群馬県に「桂川」という川があるという話を聞いて、子どもの頃に懸命に探した経験があるが、結局見つからなかった。全国に「桂川」の名称をもつ地名(川)は4カ所あると聞かされて育った私は、最後の一箇所が見つからないまま、この年まで過ごしてきたのであるから、この時の驚きは半端なものではなかった。というより、かなり感動してしまった。

感動はそれだけではなかった。

柳澤さんは大吟醸酒の長期熟成酒を造っており、最近2004年ものが発売されたのだが、その名称が「大吟醸・桂川」「壽光」というものである。

私の父は20101月に亡くなり、そのときにいただいた戒名の冒頭が「壽光」なのである。

これらのお話をさせていただくまでかなり時間を要したが、柳澤さんは「偶然とは言え、何かのご縁ですねえ」とおっしゃってくださった。

さて、お酒の話だが「餅米」を100%投入しているわけではなく、蒸米に8%程度混ぜて入れているそうである。日本酒づくりの蔵にはどこにも秘伝があるが、ここでは二代目以来のこの製法をずっと続けていらっしゃる。

仕込みに使われている桂川の伏流水は軟水だそうで、お酒も甘口ですとのことだった。お話を終わってから蔵を拝見する際に、仕込みに使用する井戸水を一口含ませていただいた。

なんとも柔らかいまろやかな甘みが、口中に広がって溶け込んでいくような水であった。

もともと火山灰が堆積した地域だと思っていたので、ミネラルが豊富な硬水ではないかと予想していたが、ミネラル分はむしろ土壌中の吸着作用を受けているのだろうか。

柳澤さんは「浅層地下水なので最近は結構気を遣っています」とのこと、地域の水を守り続けるのは並大抵の努力ではできないご時世なのだと感じる。

帰り際に銘酒「桂川」の純米酒など数種類をいただいて帰路についた。多忙な時期に訪問をさせていただいた柳澤さんに、心より感謝を申しあげたいと思う。

さて、持ち帰った酒を飲んでみて不思議な感覚に襲われた。

口の中には確かにほのかな甘みが広がるのだが、ピリッとした厳しさも感じられる硬軟織り交ぜた味わいが醸し出されている。

米の持つ甘みと風土が持つ厳しさをミックスした伝統の味なのだろう。持ち帰ったお酒と別途に購入した「桂川」の日本酒度は−9から+2までバラエティに富んでいる。日本酒度や酸度だけでお酒を評価する風潮を戒めているかのような雰囲気さえ感じる。

そういえば、別の酒瓶のラベルの片隅に「日本酒度と酸度はあえて公表しておりません。お酒の味は数字に惑わされず、ご自身で感じていただければ幸いです」と記されていた。

日本酒を愛する国民への、蔵元からの優しいメッセージではないか!

 


若者たちが支える日本酒文化

 7月30日のブログでご紹介したイベントに参加した。「酒と語りと醸しと私」と題したこのイベントは、滋賀県内の若者たちが組織する「酔醸会(よいかもかい)」が主催したものである。
タイトルや会の名称もおしゃれだが、開催された場所も大津市内にある旧公会堂で、なかなか雰囲気のある建物だった。
このイベントのサブテーマに「日本酒をもっと知ろう!」と書いてあった。名水に恵まれた滋賀県は古くから酒の名産地であったことは意外に知られていない。それは、京都・兵庫の大生産地に隣接し宣伝量では全国発信などしていないし、しかも少量生産で地域文化としての酒を守ってきたからであろう、と私は解釈している。
しかし、県民がそのことを理解して支えなくなれば、いくら「良心的な酒造り」をしていても、酒造りそのものが崩壊してしまう。「日本酒をもっと知ろう」と呼びかけた若者たちに私は大いに拍手を送りたい。
これまでブログで何度も強調したように日本酒は地域の文化である。それを若者たちが継承し普及しようとする意気込みこそ、地域を活性化させる起爆剤になるはずだ。
さて、イベント会場で私は驚いた。
参加した蔵元さんたちは12社で、ほとんど蔵の若い代表者が来られていたことだ。
出された酒もそれぞれ個性のあるすばらしいもので、安価でも気力にあふれた酒もあった。
イベントは参加者が蔵元さんたちと談笑できるように、酒のサーブを主催者「酔醸会」の若者たちが行い、近隣からおいしいおつまみも安価に供給されるなど、初回の開催としては気配りのきいた内容だった。
参加したお客さんが老若男女さまざまだったことも印象的だった。おそらく「酔醸会」の皆さんが口コミで広げられたのだろうが、地域に根ざしたおいしい酒造りが、日本酒ファンを各層に広げる兆しをつくっているのだと思った。
このイベントのアンケートの最後に私は「穂積忠彦さんが生きていたら大いに喜んだだろう」と書いた。穂積さんは「まがい物のアルコールと日本酒」を厳しく告発し、良心的な本物の酒造りを鼓舞して全国を廻り、国を相手に「アル添、三増酒」を窮地に追い込んだその人である。
ご存命ならば、滋賀県の若者たちに力のこもったエールを送ったことだろう。
私は世代交代をみずから成し遂げつつある若者たちに拍手を送りつつ、このような動きが全国に広まってほしいと願っている。
地域にある宝物をもっと大切にしよう!

日本酒文化は若い人にも受け入れられている

今月3回書き続けた「日本酒文化と水の話」をお読みいただいた滋賀県の友人からご返事をいただいた。 その中に滋賀県大津市で9月20日に開催されるイベントの情報があったので下記をごらんいただきたい。

http://ahiru-ie.way-nifty.com/s2/2010/07/post-3bb0.html

このイベントは蔵元さんが開催するのではなく、県内の日本酒ファン市民が実行委員会をつくり開催にこぎ着けたものである。
私は滋賀県は全国でも銘酒を生み出してきた地域だと思っているが、全国的には「穴場」的存在だった。しかも同じ滋賀県内、というより琵琶湖の流域は味わいの異なる楽しい地酒が古くからつくられてきたところである。水を大切にする文化は酒造りの原点と考える私は、滋賀県の日本酒ファンが自力でこのようなイベントを開催されることに大きな拍手を送りたい。
滋賀の本当の魅力はこういう姿にあると私は思っている。
関西地域のみなさんには是非お立ち寄りいただきたい。蔵元さん12社が参加予定だそうで限定150名まで。

日本酒文化と水の話(その3)

 

「その1」で述べたように私が外で本格的に日本酒を飲み始めたのは40歳になってからで、特に45歳でコンサルタント業に転職してからは、全国を飛びまわるようになり、そのたびごとに地域の酒を飲み歩いてきた。

そのような話を懇意になった居酒屋でしゃべっていると、「どこのお酒が一番美味しかったですか」とよく聞かれることがある。

そのとき私はいつもきまって次のようにお答えする。

「どの地域のお酒も一所懸命に造っていただいたお酒は美味しいです」「造り手の心意気が伝わってくるようなお酒を飲むと、うれしくなります」

「一所懸命」とか「造り手の心意気」などとわかりにくい基準だが、「酒造りは地域の文化史」であることをよく理解されている酒造家は、間違いなく地域の香りがする素晴らしい酒を造っていらっしゃる。

「桂川さんはどんな時にその『造り手の心意気』を感じるんですか」となおも聞かれるときには「そうですね、値段は安い普通の純米酒を飲んだときに、地酒らしい香り、時には吟醸香さえも漂わせる酒」と答えている。

そのような酒に出会うと、私はできる限り蔵元にまで出かけてご主人に面会することは「その2」で述べたが、そのとき数本は自宅に送ってもう一度飲みなおし、年間をとおして気に入った酒は年末に再再度送っていただき、正月用の酒にする。正月には、家族全員にその酒を生み出した地域の話をしながら薀蓄をたれる。どの酒も正月のおせちにはよくあっている。

蔵元に出かける前に、一応「水の専門家」としては地域の水の状態は概観でも知っておく必要があるが、それにしても口に含んだとき「ン?」と感じることがある。それは自分が仕入れた水質資料で想像したものとは異なる味に仕上がっているからで、地域の水の多様さに驚くことが意外に多い。

同じ河川の流域にある蔵でも、伏流水や地下水を利用して酒造りをしていると、同じ杜氏さんが同じ米を使って造っても、少し場所が変わるだけで全く異なる味に仕上がることがある。地下水に含まれるミネラル分など化学組成が異なるからで、自然が造りだすまさに「妙味」というべきだろう。

そのような飲み方をしていると、面白いのは同じ酒でも昨年と今年で味が微妙に異なっていることに気づく。酒造りの当事者なら当然のことだが、このことに気づいたときには自分でもびっくりしたことがある。

おそらく多くの場合、源水水質は同じはずなので、米の水分やデンプン、タンパクなどの含量が微妙に違っているのだろうと思ったが、酒造家のお話ではそれだけでもなさそうで、その年の自然界の状況がすべて反映した結果としてみるほうが正しいようだ。そのような微妙な発酵過程を毎年おなじレベルのものに仕上げてしまう杜氏の技量にも舌を巻いてしまう。まさに伝統文化だ。

さて、ここまでは「これぞ日本酒」という話ばかりしてきたが、残念ながら全国の酒造家がすべてそのような酒を造っているわけではない。

かつては「銘酒」とうたわれた酒でも、「これがあの酒か?」とがっかりさせるものも少なくない。多くは「利益一番」で酒造家の役割を忘れてしまった結果である。「酒造家の役割」とは日本酒に表現される地域の文化史を、適正な価格で多数の地域住民に楽しんでいただくことにある。

「ちょっと売れたから」「○○賞をもらったから」「観光客が増えたから」などの理由で増産を重ね、価格を吊り上げるような行為は、酒造家の自殺行為だ。

世の中の流れに留意することは、商売をするうえで大切なことであると私も思うが、「女性向けに」あるいは「観光客向けに」といって由緒ある蔵元が妙な酒を造ってみたりするのは、自殺行為の最たるものといわねばならない。

これらの蔵元の売上がその後低下しているのは言うまでもないことだ。

しかし、このような行為には酒を飲ませる商売の居酒屋の責任もないわけではない。宣伝の多い「銘酒」を「うまいから」といって飲ませ、高額の大吟醸酒を特別扱いするなど、消費者の目を誤らせる居酒屋も後をたたない。

一升瓶の底に少量たまった酒を知らん顔して出してくる店、うまくもない高額の吟醸酒を仰々しくガラスケース冷蔵庫に入れて偉そうにしている店も私は要注意にしている。
「でも、桂川さんが言うような美味しい酒はやはり高いんじゃないのか」とよく言われるが、私は多くの場合、4合ビンで1500円以上の酒は買っていない。それも純米酒で可能な限り無濾過原酒を購入する。作り手の心意気と米と水の状況が一番わかるような気がするからだ。
 お断りしておくが、私は酒造りの現代史における吟醸酒の技術開発を否定しているわけではない。手間ひまかけて香り高い吟醸酒を造る技術は大切にされねばならない。しかし、その地域が持っている日本酒の魅力を感じるには私は普通の純米酒が最適だと思っている。もっといえば、わが国の近現代史で酒は大衆の世界に広がって支持されてきたものである。その原点は安くて美味しい酒であったはずである。生活レベルが向上して高額な酒が売れるといっても、酒の味わいは原点にこそ残っていると私は思う。

わが国の蔵元にはそのような酒を頑張って造っているところがまだあることを、知っていただきたい。そしてそのような酒造家をぜひ応援していただきたいと思う。蔵元の代理店である酒屋さんも同じような気持ちで頑張っていらっしゃるところがある。地域の良い酒を嫌がらずに仕入れて全国に紹介する、インターネット世界だからできたことだが、酒造家を大切にしようとする店の経営者にも頭が下がる。

最後に、消費者が賢くならなければ、まじめに日本酒文化を継承してきた酒造家が、安心して酒造りに打ち込めなくなってしまう時代だということを、是非知っておいていただきたい。

酒造りがあるから、米も水も守られる。米作りと水環境が守られているから日本酒文化が守られる。

ぜひ、お正月には「これは」と思うお酒をぜひご家族全員で、その地域の話を聞きながら味わっていただければと思う。

「日本酒文化と水の話」はこれで終わりにします。長くなりましたがお読みいただきありがとうございました。ご意見、ご感想がありましたら「水の相談所」のアドレスにメールをいただければと存じます。
 なお、文中では個別の酒造、銘柄、居酒屋、酒屋さんなどの名前は、読者の判断を尊重するため最小限にとどめましたことをご了承ください。


日本酒文化と水の話(その2)

 

今から9年前(2001年)の夏、私は香川県綾歌町(現在は丸亀市と合併)に出かけて庁内の地球温暖化防止計画についてお話をすることになり、前日から高松市内に宿泊していた。出張時のいつもの慣習で、大阪から合流した同僚と一緒になって居酒屋に出かけ、いつものように地元の日本酒を物色し始めた。店内に張られた酒の銘柄を読みながら一瞬、気になる酒が目にとまった。どこかで読んだことのある「あの酒か?」。「純米酒 凱陣」との出会いであった。四合ビンをもらって一口含んだとき、「これ純米酒?」と思わせるような、何ともいえない香りが口中に広がり、脳天を衝撃が走ったのである。酒づくりに対する強い意気込みを感じさせられた衝撃である。そこには「しっかりと酒を造っている」という主張があった。

衝撃的な出会いのついでに3人で2本をあけ、そっとビンのラベルから酒造の住所を書き写した。

翌日、綾歌町に出かけた私は、役場の方に「ここから琴平までは遠いですか?」と聞いてみた。意外に近かったのだ。

同僚は「もしかして、桂さん蔵元めぐりですか?」と薄笑いしながら、昼食を食べた後分かれて別行動となった。

帰りの飛行機の時間まで3時間程度あった。これを逃したら2度と会えない人がいるかもしれない、と私は思いながらレンタカーをとばして琴平の「丸尾酒造」を訪ねたのである。

蔵元のご主人とはもちろん初対面だが、私は居酒屋で感じた衝撃と、自分がいつもこうやって「心意気の伝わってくる」酒造を訪ねていることを正直にお話し、突然の訪問をご容赦いただいた。

しばし、酒づくりの談義の後、私の専門が「水」だということをやっと説明した際、ご主人が次のようなことをいわれたのである。

「ここの水は土器川の伏流水を使ってるけど、最近建設省が近傍で河川工事をやることになり、水量や水質に影響がでないかと心配なんだよね」と言われたのである。残念ながら私は当時その工事には全く関わっておらず情報も持っていなかったため、工事の内容やご主人の心配事とこれまでの地下水の履歴をお聞きしながら、「特に水量の変動が起きないように建設省に話をされた方がよいのではないか」といった意味の話をさせていただいた記憶がある。

しかしこの後、埼玉の自宅に戻ってからもご主人の言葉が気になってならなかった。それは、酒造家の心配事に対して的確なご説明ができなかったのではないか、というだけではない「何か」が引っかかっていたのである。その「何か」は丸尾酒造さんにその後訪問したときも、あまり自覚できないまま時は過ぎてしまった。

全国を仕事でめぐっていた私も、翌年には単身で北海道に居住し仕事も変わっていたが、蔵元めぐりだけは相変わらずだった。道内の主な蔵をめぐりながら私はまたも衝撃を受けたのである。それは酒の味ではなかった。

北海道では長く醸造好適米を作付けしておらず、名だたる酒造家の多くは山田錦や美山錦といった内地の米を持ち込んで酒づくりをやっていたのである。

前述の丸尾酒造さんも醸造好適米を探して、当時は九州まで足を運んでいるとおっしゃっていたから、北海道ではなおのことであった。

2003年になって、私は札幌近郊の当別町で購入した「当別のお米でできたお酒」を飲んでびっくりした。あまり期待していなかった反動もあったが、しっかりした味わいは若い人の意気込みを感じさせるに十分な味だった。

「酒づくりは地域の文化史」に自分なりの答えを見いだしたのはこの時だったと思う。また、丸尾酒造さんで感じた「何か」もこの時に氷解したのである。

酒づくりにおける「米・人」は現代の日本ではどこからでも手に入る。場合によっては海外でも酒づくりはできる。

しかし、水だけは地域の土地を流れている地下水、伏流水や表流水を利用しなければならない。地域の水を守るということは、長く続いた日本酒の文化を根本のところで支えるものだったということに、この時になって初めて気づいたのである。あわせて、地酒の最大の特徴もこの水が生み出すものが基盤にあり、絶対に代替えのできないものだけが持つ誇り、自信、味わいを支えていたのである。

かつて「多摩川と川崎と酒」を書いたとき、蔵元の源水の水質と「甘口、辛口」の区分を述べていたのだが、地域の水はもっと奥深いところで酒づくりを支えていたことに気づいたのである。あのエッセイから10年後の話である。

だからいま、私は地方に出かけた際に、地元の酒米で地元の杜氏さんが酒造りを続けている姿を拝見すると、一言声をかけたくなるのである。「源水は何を使っていらっしゃいますか」「これからも頑張ってください」と。

本当の地酒には、地域の水に地域の米とそれらを知り尽くした人だけが持つ歴史と文化の香りがする。まさに「酒づくりは地域の文化史」なのである。

(「その3」に続く)


日本酒文化と水の話(その1)

 

私は若いときから日本酒が好きだったが、外では滅多に飲まなかった。それは「日本酒は正月にコタツにあたりながら、酒を飲んだらそのまま寝ころぶことでおいしさが味わえる」とずっと思いこんでいたからだ。私は昔から酒は人から勧められて飲むものではなく、ゆっくりとした気分で味わうものだという強い信念のようなものを持っていたようだ。

だから、先輩や上司から日本酒を勧められたときは、断らずにグイッと飲んでしまうものの、その後はすぐに「水代わりですので」と言ってビールを飲んでいた。

そんな私が外でも日本酒を飲むようになったのは、40歳をすぎて仕事で毎日遅くなり、職場のそばで宿泊することが多くなったときからだった。しかし酒量は多くなったものの心では「日本酒はこんな味ではない」とずっと思っていた。

転機が訪れたのは川崎市を退職してすぐに「多摩川と川崎と酒」というエッセイを川崎市市民文化室が発行する「クォータリーかわさき」誌に発表したときである。私はその中で「酒づくりは地域の文化史だ」と述べ、そのことを川崎と多摩川を重ね合わせながら、(一応専門家らしく)川崎酒造近傍の地質や水質についてふれて記述した。

酒づくりには「米、水、人」のどれが欠けてもまともなものはできない。私はそのエッセイで、酒造りで利用する地下水水質と酒の関係についてふれているが、本当に書きたかったのはそのことではなかった。私は杜氏さんが米づくりの地で伝承的に受け継いだ技術によって、日本酒文化が持ちこたえてきたことを述べて、米づくりの衰退と杜氏の減少に警鐘を鳴らしたかったのである。

残念なことに、私の危惧は的中してしまい、川崎市のその蔵元は杜氏さんの病気により廃業してしまった。酒づくりの文化を守り育てるのは「人」であることを強く印象づけられた出来事だったのである。

しかしその後、私は仕事で全国をめぐるうちに、それでも頑張っている蔵元を見ながら、とてもうれしくなった。杜氏の技術を自分で学び江戸時代から続いた酒造りを盛り上げた若主人もいる。

そのような蔵元をめぐる旅をしているうちに、私は「酒づくりは地域の文化史だ」という視点が自分の専門領域に通じていることに気づいたのである。

(「その2」につづく)


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